基本情報

国旗
国旗
東南アジアに位置します
東南アジアに位置します

 

1.面積

51万4,000平方キロメートル(日本の約1.4倍)

 

2.人口

6,593万人(2010年)(タイ国勢調査)

 

3.首都

バンコク

※バンコクの正式名称:

クルンテープマハナコーンアモーンラッタナコーシン・マヒンタラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッタナラーチャタニーブリーロム・ウドンラーチャニウチェットマハーサターン・アモーンラピーンアワターンサティット・サッカタットティヤウィサヌカムプラシット

 

4.民族

大多数がタイ族。その他,華僑,マレー族,山岳少数民族等。

 

5.言語

タイ語

 

6.宗教

仏教 94%,イスラム教 5%

 

7.略史

タイ王国の基礎は13世紀のスコータイ王朝より築かれ,その後アユタヤ王朝(14~18世紀),トンブリー王朝(1767~1782)を経て,現在のチャックリー王朝(1782~)に至る。1932年立憲革命。

タイの貧困

バンコクにあるクロントイスラム
バンコクにあるクロントイスラム
トタンをつぎはぎした家に住む
トタンをつぎはぎした家に住む
衛生環境は悪い
衛生環境は悪い

 

タイ国経済発展の表と裏

 

 日本の約1.4倍の国土を持つタイは、北部の山岳地帯を除いて高原と平野が国土の大部分を占めており、アジアの穀庫と呼ばれるほど豊かな農業国として知られてきました。一方で、1961年から政府によって工業化政策が始められ、工業国への道を歩み出しました。以降タイは安定した経済成長を続け、特に1980年代以降の高度経済成長の勢いは凄まじいものでした。それによって中流階級の人々は自家用車を持つようになったり、海外旅行へ行くようになったりと、一定層の人々にライフスタイルの変化をもたらしました。また、1997年に始まったアジア通貨危機によって、タイ経済も大きな打撃を受け停滞したものの、その後、急激な回復を見せ、現在では再び高い経済成長率を維持しています。 
  
  こうしてタイは農業国から東南アジアにおける代表的な工業国へと変わってきましたが、工業化に伴う国の社会開発がなされなかったため、農家や低所得者層が犠牲となる多くの問題が生み出されました。森林破壊による農地の干ばつと土壌浸食、地方から都市への人口流入によるスラム街の形成、子ども達の生活環境の悪化、麻薬やHIV/AIDSの蔓延等、これらは工業国、観光地として国外から注目を集めている現在のタイの裏側で、社会の関心から遠ざけられ深刻な問題となっていきました。 
  
 そして経済発展がもたらした多くの富は、裕福な者をさらに裕福にし、貧しい者をさらに貧しくさせました。2001年に発足した政権によって、農村を中心にボトムアップ政策が取られ多少の改善が見られたものの、多くの問題は未だに解決されておらず、貧富の差は広がり続けています。

(ドゥアン•プラティープ財団ホームページより)

 

 

クロントイスラムについて

 

 1940年代からタイの首都バンコクには徐々にスラムが形成されるようになっていましたが、本格的なスラムが形成されるようになったのは1960年代に入って工業化政策が本格化し軌道に乗り始めた頃でした。工業化政策によって都市部では安価な労働力を大量に必要としました。そして度重なる旱魃被害によって疲弊していた農民たちと都市部の労働需要があいまって、地方から都市へと仕事を求めて人々が流れ込みました。 
  
 しかし、政府はこうした労働者たちの住宅問題に対策を講じず見てみぬふりをした為、地方からやってきた人々は地価の沸騰した都市に自らの土地を持つことが出来ず、土地所有者との正式な契約がないままに働く場所に近い空き地に住むようになりました。教育レベルの低い農民たちは低賃金の単純労働に就くことしか出来ませんでしたが、それでも農業をするより収入がずっと良かった為、都市部への人口流入は止まらず、次々と空き地に不法に住む人が増えスラムが形成されていったのです。

 

 クロントイスラムは約80,000人が住む、バンコク最大のスラムです。バンコクの玄関港であったクロントイ港へ仕事を求めて多くの人々が集まり、スラムを形成していきました。最初は数十世帯であったのが徐々に増えていき、1991年には世帯数が6,000以上に及びました。

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